pájaro パハロ

DSC_0527.jpg
パハロ、スペイン語で「鳥」って言う意味です。いつも自由に羽ばたいて、鳥のように軽やかに。そんな意味を込めていますが、アトリエに可愛い鳥さんがやってきてくれました。
こちらは友達の布作家hikiちゃんに作って頂きました。
本当に可愛い!表情が何とも言えないでしょ。「ぱはろー」と命名。
DSC_0534.jpgDSC_0554.jpg
夜はのんびり休んでいる様子。こちらは帽子につけてももちろん可愛いのですが、洋服やバッグにつけても素敵です。
大人の遊び心、大好きだなー。hikiちゃんの作るものはいつもセンス抜群。
是非お気に入りの子と一緒にお出かけしてくださいね〜♪

手仕事

DSC_0508.jpg
奄美大島で染めてきた毛糸はやっと玉になって出番を待っています。
そして徐々にですが帽子が出来上がってきました。大地そのもののような力強さと、包み込むような優しさに満ちています。
奄美の工房では毛糸を染めて、帽子を作ると言ったら驚かれました。あまりそう言う人はいないようで、工房の主さんは何度も「帽子は良いねー、聞いた事無いねー」とつぶやいていました。
染めてみてどうしてだかよくわかったのは、毛糸は染まりにくいのです。元々の大島紬の糸を染めていたものなので、動物の毛の油分は染料をはじいてしまうのです。
なので同じ行程を何度も何度も繰り返してやっと染まったのが、今回の毛糸です。
工房の社長さんには「今度はもっとたくさん持ってきて、毎日染めにきたら良いよー」、と言ってもらったので、今度はもっと滞在を長くしようかな。頑張る私の姿を見て、社長さんはお昼にサンドイッチを買ってきてくれました。奄美の人は暖かいです。
心地よい疲れのお昼休み、工房でサンドイッチをほおばりながらぼんやり出来上がる帽子に思いを馳せていました。
カメラも持って行ったので、工房でモノクロ写真を撮影してきました。こちらもじっくり作業します。職人さん達の技と歴史がその空気を作ってきたのでしょう。あそこの空気を焼き付けたいと思いました。写真はそれが出来るから好きです。
「写真と帽子どちらが本業ですか?」と、よく聞かれます。「どちらも本業です」と答えますが、あまり仕事に区別をつけていません。
1番と2番を決める事は出来ませんし、どちらもがつながって、どんどん違う形になってゆく。もともとは写真を勉強した私ですが、まさかこんな風に旅先で職人さん達に混ざって毛糸を染めているなんて夢にも思いませんでした。それもこれも人との出会いが一番大きいような気がします。勉強は二の次で、人との出会いが次の道を作っていく。不思議です。
ただただ、好きな事を追いかけていたらこういう仕事の形になった。それを応援してくれるたくさんの人に恵まれています。
これからもまた違う事を見つけたら真剣にやるんだと思います。先が想像できないから面白くもあり、怖くもなる。でもその途中で出会う人がいて道が開けてくる。この繰り返しで、少しずつですが前に進んでいるように思います。
私が大切にしている事はいろんな場所に転がっているなーと、旅を通して気付かされます。

秋のはじまり

DSC_0409.jpg
空気が秋に変わりましたね。この季節ちょっと寂しいのです。夏が賑やかすぎてね。
でも毛糸の帽子の季節がやってきて、やっと気分がのってきました。奄美で染めてきた毛糸達をまきまきしています。
さて、どんな帽子になるかな。愛おしい毛糸達。育てている感覚です。生まれる前のワクワク。
DSC_0404.jpgDSC_0389.jpg
誰かの元に帽子が旅立つ準備の準備。真っ白だった毛糸はこんなに個性豊かになりました。
よく聞かれる「帽子をひとつ作るのにどれくらい時間がかかるのですか?」という質問、でも編み始めるまでのこうした道のりを考えると、やっぱりどれだけ時間がかかっているのか計算できません。ただただ理屈ではなくて、ご縁のある人のもとに旅立ってそこからまた新しい時間が始まるのをいつもすごいなー、うれしいなー、と単純に思うのと、出会いの不思議を目の前で見るのが好きだから手を動かしているのでしょう。
出会い、土地の香り、空気、昔からある手の仕事、旅。たくさんの要素が混じり合っています。どんな帽子がうまれるのか、楽しみにしていてくださいね!
最終的には羊を飼っちゃうかもしれないなー。

26日.27日の予定

26日(木)のパハロは15時までの営業となります。
27日(金)はお休みとさせて頂きます。
ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

毎日は儚くて。

obaa.jpg
おばあちゃんが天国へ旅立って行った。世間では大往生と言える年齢なのだけど悲しくて切なくて、涙はあふれる。おばあちゃんには亡くなる直前に会えたし、自分なりに感謝の思いをいつも形にして来たと思うので悔いは無い。
涙があふれ過ぎて次の日は人相が変わったけど、心にはいつも素敵な風景が残っている。
私が写真を始めたのは、こういうことを残したいからなのかもしれないと改めて思う。
この写真を撮ったのはきっともう15年以上前。
おばあちゃんは庭の手入れをしている。
そして娘達(母と叔母)は窓辺の陽のあたる暖かいこたつでミカンを食べている。私はシャッターを切った。
今はもうこの家はない。この庭も無い。
こたつでミカンを食べることも無い。おばあちゃんもいない。
悲しいけれど、その時のわたしはシャッターを切った。そしてその予感があったのだと思う。
写真を撮るというのはそういうことだから。
img022.jpg
毎日は儚い。だからこそ、私はそれを永遠にしたいと印画紙に焼き付けている。
それは産まれて来て、日々の何でも無い生活があって、終わりがあって、また繋がって行く不思議を、ただただ私が残すことの出来る方法で掬いとることが写真だったのかもしれない。
そして、いつもありがとう。おばあちゃんがいなければ私はこれを残すことすらできませんでした。
最後に会いに行った時の、いつものイタズラな表情が忘れられません。