- 2011年11月 5日 04:07
- 日々のこと。
先日とうとうロルフィングを終了いたしました。
美穂子さんから受けたのが実は大きいかな。体を触ってもらう事がとても自然で、安心感がありました。ロルフィングというか、美穂子さんの知っている体の知識を少し分けて頂いた、幸せな時間でした。美穂子さんのブログ→
「ロルフィング?」私にとって以前は良くわからなかったもの。
でも受けてみると『体ってものが自分の一部』だって再認識出来る作業だったと思う。
あたりまえの事を意識するって以外と難しい。体は産まれた時からあるからその素晴らしさになかなか気がつかないのです。やっぱり楽しい事をしてく為には体と言う土台があっての事だと本当によくわかりました。
体は永遠に動く物だと勝手に酷使して来たと思います。
いつも精神は研ぎすまして心の声を聴きたいと思っているけれど、体に関しては少々無頓着と言うか、多少の無理はあたりまえと、相談もせずに過ごして来てしまった。
なので無理をすると体が悲鳴をあげて、時々耳が聞こえ過ぎたり、皮膚がカピカピしたり、腰の位置が左にずれて行くのを感じてはいた。
知らず知らずに体がすり減って、心も悲鳴を上げる。そのスパイラルを良い物に変えるきっかけがロルフィングなのかも。
ロルフィングを受け始めてからは体の声を大きく受け止めている感覚がとても強くなった。気持ちを意識する事はあっても、体の声を聴く事はあまりなく、でも自然にその言葉は降って来たように思う。
セッションを受けると、いつも決まって内蔵が動き出した。内蔵が動いているだなんて普段は滅多にかんじない。なのに体が素直に反応するのは生きている感じがしたし、打って響く感覚で音の波紋を楽しんでいたように思う。
そして最後の日を迎えると、背中や肩、羽が生えたような気がする。
昔は感じる事は無かった、背中の音、空気。私の後ろにも私の風がパッと渦巻くと言うか...。言葉で伝えるのは本当に難しい。
体の痛みが本人にしか分からないように、ロルフィングも人それぞれに与えられる新しい感覚なのだとおもいます。
いろいろなアクシデントが降って来たけど、体はなんとかそれを乗り越えてくれている。ロルフィングが消耗を手助けしてくれて、いろいろな事のクッションになっているのは絶対です。精神的な部分でもそれは大きかった。
体が資本の私なので、いつも心と体を丁寧に扱いたいと思っています。
ロルフィングを終えて、いちばん感じた事は心と体は同じ物だということ。そしてそれを取り巻く環境さえも体は知っている。いつもちゃんと整えていてくれるのです。
体との信頼関係をぎゅっと固いものにする感覚。
ロルフィングは終わりを迎えてしまったけど、これは始まる為の終わりだそうです。
自分の体に眠る力を目覚めさせたら、もっともっと前進してゆけそうな気がしています。
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